命を預け合うスポ−ツ 翼友14号 昭和10年卒 稲尾 民介 (1)大学のクラブ活動 通常の大学には、学生のための文化クラブや体育クラ ブが多種多様に亙って設けられており、その数は一大学 当たり70〜100あるいはそれ以上の大学も珍しくはない。 そのうち文化系クラブの活動はまず部員の生命にまで 関係はないが、体育系クラブではその本質上、練習途上 の多少の負傷は(決して望ましいことではないが)日常 余りにも多発し過ぎている。野球の突き指、死球、柔道 の落ち、空手の寸留め、マラソンのけいれんなと枚挙に暇が ない。 (2)スポ−ツ保険 大学もその対処に困った結果、今では保険会社の協力 を得て、殆どの大学が学校体育保険に加入している。し かしこの保険はすべてのスポ−ツ部に適用されるのでは なく、自動車、登山、および航空、滑空の各部関係は通 常対象外とされている。(大学や保険会社により、その 保険の名称や対象範囲にはそれぞれ個々の差はある。) しかし一般の国民意識として、故意や悪意でない眼り スポ−ツに多少の怪我は付きものと理解されている。 「溺れるのが怖ければ水泳は覚えない」という言葉さえあ る。スポーツの快味と事故とは正に紙一重の背中合わせ であり、しかも危険度の高い程スポーツの快味は大きい。 学生グライダーについて真剣に考えなければならぬのは この両者の背反性であろう。 (3)命の預け合い グライダーの組み立て、点検、分解、輸送などの地上 作業は、部員が皆それぞれ責任を持って分担している。 この責任は単なる個人責任ではなく部の全体責任と一貫 していることを忘れてはならない。万一部員が小さなボ ルト一本、ナット一個締め忘れても、締め過ぎても、 また締め足りなくても、結果は乗機の事故や乗員の 命に関係する。同様なことは牽引車や曳航索についても いえる。つまり部員は自分の命を互いに他の部員に預け 合っている訳である。 こんなスポーツが他にあろうか。グライダーは野球や ラグビーと同じくチームスポーツであるが、この点だけ は他と鮮明な一線をきした特色である。 (4)安全の確認 では責任は他の部員と持ち合いっこだからと安心して 乗員は無点検で飛行しても良いか?とんでもない。同僚 の作業を信用する、しないに関係無く、乗員は独自に納 得の行くまで、必ず二重三重に安全を確認しなければな らない義務がある。これは鉄則である。 非常に不幸な過去の事故の一例を挙げよう。戦後或る 滑空場で或るチームが朝早くグライダーを組み立てた。 この時昇降舵の取り付け担当者は、上昇用と下降用の二 本の鋼索を、誤って反対に取り違えて操従かんに連結した。 複習生は出発前に三舵確認もせずそのまま離陸。規定高 度で機体を水平に戻すべく操縦かんを前に押したら機首が 上に向いたので、驚いて更に前に深く押したら機首は益 上を向いて上昇、ついに失速して墜落惨死した。昇降舵 操作用の2本のワイヤ−が一本のアルミ管に改造された のはその後の事である。 (5)私の失敗例 約50年近い私のグライダ−活動の中には、恥ずかしい 失敗談が山程あるが、以下その1つを白状しよう。 誰しもグライダ−に乗った以上、1分でも長く飛びた いのは共通の心理。ある時小倉の北九州空港で、保有高 度ギリギリ一杯まで遊び、さぁ着陸しようとした途端に 運悪く下降気流に入り、30mほどス−ッと沈降、あわて て第3旋回もカットして着陸コ−スに向かったが間に合 ず、一時は場外(田んぼ)不時着を覚悟したが、頑張っ た甲斐あって場内東端に密生している高さ2mくらいの 葦の上に漸くフワリと軟着草(軟着陸ではない)、危う く命拾いした事がある。若さはともすれば危険を軽視し スリルを楽しみたがる。 6)規律の軟弱化 戦中戦後を通じ軍隊式のグライダ−教育を受けた明治 まれの僕の目には、厳正な規律は一種の美と映る。例 えば空港で旅客機や我々のグライダ−が離着陸する時、 教官以下全員は一列に並び「帽を振れ!」の号令で頭上 高々と帽子を円く振り、乗客全員にエールを送ったもの である。自分がそれを受ける順番になった時には何と も言えぬすがすがしさと連体感を覚えるのが常だった。 総てがそうでありこれは一例に過ぎない。 僕は今これを復活せよなとと野暮なことを言っている のではない。規律の軟弱化は安全度の低下と何か深い関 係がありそうなので、皆さんにも再考を促したいと示唆 しているに過ぎない。しかしそれが民主化された最近の 各大学の風潮であるとの反論があるならば、「亦何をか 言わんや、ただ事故の絶滅を祈るのみ」と申し上げるに 止どめたい。妄言多謝。 (H2.2.5.記)