ドイツとグライダ−(翼友14号) 部長 佐藤 淳造 東大抗空部の元部長、東大名誉孜捧の林毅先生のお伴 して昨年11月にドイツへ行き、クライダ−エ場を見学 して来ました。ドイツ・エアロクラブの紹介でBraunsechweig 大学Akafleigの学生とも話をしました。まずGrob 社に行こうとミュンヘンからタクシーに乗ると、田舎路 に出たとたんに何故ドイツはグライダーなのかが解った ような気がしました。広いゆるい傾斜の草地が一面に続 き、どこにでもグライダ−が着陸出来そうです。人影は 日本とはくらべものにならぬほと少ない。 聞けば、第一次世界大戦に敗戦したドイツは動力飛行 禁止されたので、大戦中にパイロットをしていた青年 たちが大学に戻ってグライダーを始めたとの事です。これ がAkaflieg(Akademische Fliegergruppe の略称)と呼 ばれるトイツの大学グライダー・クラブのはじまりのよ うです。彼等は自分達の乗るグライダ−を自作して楽しんだ ようで、現在でもその伝統が受け継がれ、いずれの大 学のAkafliegも何がしかの機体の試作を常に続けてい ます。Braunschweigは、今は無尾翼機を試みています。 少しぐらい失敗しても何年もかけて完成させてしまうよ うです。30年近くも前に複合材でグライダーをはじめて 作ったのもStuttgart大学のAkafliegであったようです (fs−24)。 Akafliegは常に時代の最先端を切りひらく試作をつづ け、ここで育った技術者・設計者がグライダ−工場をや ています。例えばRolladen Schneider社のLemke氏、 Alexander Schleicher社のWeibel氏、Schempp-Hirth社 のHolighaus氏、Glaser-Dirks社のDirks氏なとは、い ずれもDarmstadt大学Akafliegの出身でD一36、D− 38などの試作を手がけた人たちだそうです。グライダ −・マニアが、そのままパイロットで設計者でしかもグ ライダ−会社のオ−ナ−ですからまさに鬼に金棒です。 でも、どの会社も小さな小企業で、作業のほとんどは名 人達の手仕事です。これが世界のグライダ−界をおさえ ているのです。これらの会社には、大学のAkafliegの学 生たちが手伝いに来るそうです。アルバイトと実習をか ねて。 Braunschweig大学の学生Ortrud Ebrius(写真中央女 性:略)は9大学のAkafliegをまとめる組織 の譲長という大役をこなす女子学生、写真右2 人目のJulia BeusenもBraunschweig Akaflieg。彼女の 話を聞くと、14才からグライダ−を始め、1年ほどでソ ロに出たとの事で、既に距離は400km、高度は2000mを こなしているという。我々は公国ではもっぱら飛行機曳 航ばかりと聞かされていたが、ドイツの学生は我々と同 様に手製ウインチによる発航が普通らしい。又、Akaflieg の運営は、もっぱら学生だけで行われていて先生は 相談にのるだけとの事ですが、資金はかなり企業が寄付 しているらしい。日本の大学航空部との最大の違いは、 全員で機体試作をやっている事で、試作をやっていない 大学クラブはAkafliegに入れないとの事です。東大航空 部は昔はAkafliegに入れたが最近は資格なし。