エストレラ行状記  翼友11号 昭和47年卒 石川 隆司 先々号の「翼友」に米国東海岸のグライダー事情を書 き記し、西海岸編を書きたいものだと結んだせいか、編集幹事からまた原稿の 依頼を受けました。残念ながら西海岸では何カ所もの滑空場を訪れることができ なかったので、その代わりに2週間程滞在したエストレラでの失敗の数々な ど書き綴ってみたいと思います。 エストレラ(elv. 1300ft)は、陽光まばゆいArizonaの 州都Phoenixの南のMaricopaという田舎町から西へ5マイル程行っ た所、Indian Reservationのすぐ脇にあにあります。周りは、Ocotillo などの灌木がポツポツと茂る半砂漠の大地、北側にその名の由来とな った小山脈Sierra(スペイン語で山脈の意)Estrellaがあります。この OwnerのLes Horvathは実に親切なナイスガイで、とても皆に 信頼されている様子です。Officeをとりしきるのは奥さんのBetty、ア メリカ人にしては控え目な人です。LAから丸一日かけて走った翌日、まず2発 のソロチェックを受けます。1発目は3000ftで周囲の地形の説明、2発 目は1500ftで切ってShortBaseからの進入のチェック、もちろ ん機体は2‐33、後席は女性教官Sueです。OKをもらって、さっそく あいていた1‐36(Sprite)に乗りこみます。これには束海岸で相当乗り りましたが、まあまあの機体です。教えられた通り山地上空(2マイル程北)に 行くと、ごつごつとしたリフトを感じ、まだ小さいものの確かに上がっていき ます。時期は9月下旬でしたが、この頃はほぼきっかり1時にThermalが 出始め、4時から4時半で終わります。行く前は300kmなど孝えていたので すが、すぐ、ちょっと無理なことがわかりました。 さて、機体が4000ft位に上がるとMontezuma Peak(Elv. 約4400ft)が眼下となります。これは恐しくごつごつした岩山ですが、よ く見るとアリゾナのシンポルである大サポテン(Saguaro)が生えている のが見えます。最初はこの恐しげな山容に威圧されて、なかなか山に近づけなか ったのですが、滞在後半には結構山肌をなめられるようになりました。特にL esとJanusで飛んだ時は圧巻で、まさに等高線のような飛行径路で風上側 の山肌をかすめ〔飛んで行くと、70一80mileの速度を出しているにも かわらず、機体はするすると陵線の上に出て来ます。ここは、Thermal とRidgeが両方楽しめるように孝えられて開発されたことがわかります。 Janusについていえば、ここでは高速Soaringの練習用として大活躍し ており、上から見ると常に大地を這い回るようにして飛び回って いたのが印象的でした。 滞在3日目位から、l00、150km三角の旋回点を教えてもらい、回る ことにしました。100kmのそれの第一旋回点はSierra Estrellaの北端、 Pheonix Raceway、第二はPhoenixの南側にあるStella Airport です。Montezuma Pk.の上で高度をとり北西に伸ばしていくとR/Wが山並のかなた に沈んでいきます。山添いには不時着場はほとんどないので、最初は、かなり気持ちが 悪かったのですが、日を追うにつれ慣れてきました。谷間から吹き上がって くるリフトをつかまえながら、レース場をやっとの思いでクリア、 機首を東南東に向けて、Phoenix South Mtns. の南斜面をかすめて、Stella Airportを回りEstrellaに帰るの です。この最後の辺は掴れ川の上を通り、沈下帯になることが多く、 いつも苦労しました。 その最悪例は後に述べることとし、6日目に、150km三角成功の余勢を駆っ て、Top高度がとれそうなので(9000ft)一応、形だけ300kmの宣言をし て、トライすることにしました。最初は調子よく8500ftまで上がったので、 Tucson方面へHeadingを取って勇躍出発しました。しかし、行けども行けどもSin kの続き、はるかかなたにDustDevil(砂を去き上げているThermal) は何本も見えるのですがこの一帯にはありません。それての廃坑の大きな穴の上で弱い サーマルを見つけてCasa Grandeの町は飛び越し、さらに前進しましたがまた してももS ink、Sink……結局、引き返してCasa Grande郊外のThree Point 飛行場に着陸してしまいました。二つ目の銀章距離でした。着陸してすぐ、P olice Carが不審げに近寄ってきたので、これ幸いと乗っけてもらい 警察署からEstrellaにリトリーブをたのみました。policeに連れ戻されて曳航機を待 っていると、まわりに何本もDust Devilが立っています。がっかりすると同時に自分 の出タイミングの悪さを思い知らされました。実際、今いる地域(半径20km くらい)の間のサーマルがさかんに発生しつつあるのか、鎮静に向かっている の位相の 状態を早く判断し、頭の中に入れておくことはLong Distanceでは極めて重 要です。私のささやかな経験では、乾燥地では、この周期が日本などより長い ような気がします。帰ってがっくりきていると、Lesがなぐさめてくれ ました。今日は後半見掛け倒しだったから結果的には だめだったよと。実際、3時間のうち±2一3があるのは1時間半強という状況 では、私の腕では300kmはとても無理でした。 翌日、朝から雨音らしきものがします。起きると激しいスコールで鷲きました が、すぐに止んで虹が出ました。まさに砂漠の雨でした。その後、風がどんどん 強まったので、Lesから本格的なRidge Flightの棟習をやるよう に言われました。Sueの指示どおりSierraの風上側に出て行くと、静穏に なってくると同時に上がりがよくなります。2‐33で対地速度がほぽ0になる ように飛んでいると8000ft(相対山高の約2倍)まで上がりました。しか し、私の印象としては、Ridge Soaringは、一つの経験ではあるけ れども距離が稼げないならば大して面白いものではありません。翌日も風が強く ソロでRidge Flight、その翌日は風が弱まったのでl00km三角 の練習をしました。しかし、l0月に入り明らかにサーマルは弱ってきたのが わかります。 残り2日となりもう一度100km三角にtryすることにしました。出発し たものの、何度もRidgeの山項よりも低くなって、谷風の吹き上げてくるサ ーマルをつかまえて、何とかRace wayはクリアしました。帰りのLe gもひやひやの連続、特に1度はSierraの裾で2000ftを割り青くな りました。何しろこの辺には何も不時着場がないのですから。思い切って山肌に 寄せて、何とか高度を回復した時は本当にほっとしました。そして禰れ川地帯を 渡ってStella Airportをクリアした時はおよそ1500ftくら い、弱いサーマルでまた3000ft弱まで上がり、最後のLegの沈下帯に入り ます。もちろんあちこちで高度を稼がねばなりませんが、時間はすでに4時を回 っています。こいつはまずいぞと思いつつリフトの存在を信じて前に伸ばしていき ますが、Calm,Calm、1500ftを切った所で不時着を決意、地図に あるはずの農業用ランウェイを探します。ところが、それがないのです。正直言っ て*然としました。もう一度あちこち見回しても、ないものはないのです。高 度は下がってくるし、農場に降りれば、機体を壊しはしないけれども機体の分解が 必要なのでリトリーブにかなりの費用を取られるはずです。幸い束西に走る立派な 道があるのでそれをながめると、電柱はないしラフイックも極めて少ないようで す。1000ftを切って、ここに降りることを決意しました。Finalを高め にとってトラフィックをもう一度確認し、ダイプを思い切り使ってさっさと 降りました。片側一車線ですが道幅は十分でまるでランウエイのようでした。 機体が停止したところですぐに機外に飛びだし、機体を路肩に押しやってほっ と一息つきました。しばらく待っているとスクールバスが来たのでヒッチハイク、運転 手はインディアンのおばさんでした。竜話のありそうな民家の前で降ろしても らい、道路に降りたけれど曳航機も着睦できる旨を連絡しました。帰りもまた ヒッチハイクで機体のところに戻ると、何と、キャノピーに駐車連反のスティッ カーがあります。最初は鷲き、吹き出し、そして腹が立ってきました。署名を 見るとインディアンの讐察官(とんでもない名前が多い)のようです。腹立ち まぎれにて捨ててしまいましたが、後から孝えると貴重なものを拾ててしまっ たわけで、惜しいことをしました。曳航機を待っていると、タ方の退け時になっ たか、かなりトラフィックが増えてきました。曳航機が来たがなかなか降りら れません。困ったなと思っていると滑空場で知りあいになった男が車で駆けつ けてくれた。彼に2マイル程先に行って車を遮断してもらい、私はこちらで交 通を止めます。上空で憤重に旋回し曳航機がさっと降りてきて、急いで索を伸ば し、コックピットに入ってラダーを振るまで、ものすごい早業だったように思 います。帰るとLesはどうしてそんな所に降りたのか不審顔ですし、私はこ んなところにランウエイはないじやないかと文句を言いました。二人でクラブ ハウスの地図を見に行って謎が解けました。航空図がガラスのケースの中で下 にずれていたのです。実際の滑走路は私が地図にマークした位置から8マイル 近く南に行った東西の道沿いにあったということなのです。しかし、私の方に も、地図にたよりきってもっと早くから目視で不時着場を探さなかったミスが あったのは事実です。いずれにしても、いろいろ間一髪だったこのフライトは、 エストレラのほろ苦いけれども面白い思い出になりました。 最終日にLesに頼んでやってもらった背面とロールの練習のことなど、書 きたいことはいくらもありますが、紙面の都合でこのくらいにしておきます。 私なEstrellaのフライトの反省をしてみますと、第一の失敗は時期が 悪かったことです(スケジュールの都合上しかたなかったのですが)。 4月中旬一7月末なら易々と300kmはできるとのことでした。 第二は、サーマルの発達と消滅Phaseの把握が悪かったことです。 後半になって少しこれを意識して飛べるようになりましたが、まだまだです。 第三は、上記の不時着に関連して、地図に頼りすぎた点です。 これは、知らない地域で飛ぶには、本当に重要なことでした。 まだいくつかありますが、逆に言うと、2週間の間に35時間くらい 飛んで、900km程のクロスカントリー飛行の経験を積んだ ことは、私のグライダー歴の中で初めての濃厚なトレーニング で、何ものにも換えがたいものでした。惜しむらくは、せっかくの 向上した(とうぬぼれていますが)技量も、日本で日々の暮らし に紛れていますとまたぞろどんどん風化していくことです。 何とかしてまた、クロスカントリー飛行の醍醐味を味わう 機会を持ちたいと願っています。