「安全について思うこと」  翼友11号 昭和56年卒 杉山 元 今回、私に、最近教官をやっていて、とくに思うところ書くようにとのことで、 教官として一番気になるのやはり、安全の問題だと思いますので、それについ て日頃思っていることを書きます。 教官として一番大事なことは何かといえば、私は、まず死亡事故を起こさないこと だと思います。もちろん、全ての事故を起こさないようにしなければならない のですが、事故を起こさないようにすることと死なないようすることとは必ずしも 一致しない場合があるので、この点ははっきりさせておく必要があると思います。 その違いが問題になるのは、飛行中に不幸にして事故に至りかねないような状況に陥 ち入った場合で、こういう場合パイロットとしては、死なないことをまず第一に考 えなくてはいけないので、事故を起こさないようになどということは考えない方がよ いばかりではなく、命をまもるためには、あえて自分から進んで機体をこわす選 択をしなければならないことがあります。たとえば、ウインチ曳航中の索断などの ときに、ウインチに衝突する危険を冒して無理な直進を試みるよりは、高度に余裕 がるうちに進路を変えて滑走路以外の場所に着陸してしまった方がよいというのが その例です。また、遠く離れ場所を飛んでいて、滑定路にたどり着けるかどうか 確信が持てなくなってしまったときに、無理に帰ってこようとしてやみくもに滑走路 に向うより、確実に到達できる範囲に死なずに降りられそうな所をさがすことを 優先するというのも同様の例です。どちらの例も、結果として場外者陸をすること になり、機体は無事ではすまないでしょうが、死ぬ可能性はかなり低くなると思い ます。 ところで、このような緊急の場合にどうすべきかにつ いては、死なないようにという原則ははっきりしているものの、具体的な方策を学 ぶ機会は限られています。3年程前、妻沼で死亡事故が起きたときに緊急のさい の処置について再確認しようという話が出たのですが、そのときの議論では、緊急の程 度によって、あらかじめ練習しておくことによって対処すべきもの、練習生が自 分で練習することはできないけれども同乗教育のさいに教官が体験させることは可能 なもの、体験することもできないものにわかれるであろうということでした。具体 的に個々の場合がそれぞれどれに対応するかは、教官の経験技量によってもある程度異 なると思われます。この問題は教官にとってはきびしい判断が必要で、練習生が1 いずれ独立して1人で飛ぶことを孝えると、可能な限りは教育のさいに練習をしてお いた方がよい反面、練習生自ら行なうべきでない程度に危険な場合もあって、そ の限界についてよく考えておかなければならないと思います。現在、緊急処置の練習課目と して、模疑索断、ノーダイブ進入、きりもみなどがありますが、これらの課目はしない ですむものなら、その方が安全であることは確かだと思います。そこで、このような 課目の実施には、どこかに歯止めが必要で、教官の側としては、課目の必と危険度に ついて正確な知識を持った上で、実施のさいの明確な基準、すなわち練習生、教官両 方についてまで練習として安全に行なうことが可能か見きわめるための基準を自分自 身が持っていなければならないとます。私の場合には、離陸直後の模疑索断や低 空でのきりもみはちょっと実行する気にならないし、同一サーマル中での複数機の編隊飛 行による滞空なども教科書にあってもやる気がしない課目です。 練習を実施するしないにかかわら、まず、危険について 正確な知識を持つことが重要です。そのためには、経験の豊富な教官の話を間い たり、過去に実際に起った事故の記録をみて、日頃からよく考えておくことが大 事だと思います。私も、学連の事故要約集や、航空事故調委員会の事故報告書な どをときどき読んで孝えるのですが、これらの記録は、パイロットにとって、お おいに参考になるものと思います。ただ、事故調査委員会が常設されてグライダーの事 故も扱うようになったのは昭和49年以降のことで、また学連の事故要約集も、昭和 44年の記録はごく簡単なものだけで、それ以外の事故にて記録がないのはやや 残念に思います。記録をみて特に感じるのは、パイロットにとって緊急時に最善 の処置をとることがいかに困難であるかということです。地上で落ち着いて反省すれ ば十分わかることが飛行中はうまくできないのです。飛行中は時間的余裕がないこ と、能力が低下していること、危険を感じて異常な精神になってしまうことなど がその理由と思われます。いったん緊急事態に陥ち入ってしまってからは、パイロット には多くは期侍できないということかもしれません。そうしてみると、実際上、安全を 確保するために重要なのは、最初から生きるか死ぬかという状況にならないようにするこ とです。初めの例の場合では、低空旋回や不時着の可能性がないように最初から飛行 計画をたてるの ので、正面からウインチにぶつかるくらいなら低空旋回もやらなければならないし、 高圧線や橋をいちかばちかで飛び越えたり下をくぐったりして滑走路に帰るより は、その手前で降りてしまった方がよいでしょうが、そもそも、最初からそのような 状況にならないように飛行計画をたてるべきです。ずっと人身事故、死亡事故を防ぐ という立場から書いているのですが、もちろんそれ以外は何が起こってもかまわな いと思っているわけではないのです。孝え方としては、人身事故にもならず、他人に迷怒 さえかけない範囲でなら、練習でこわすくらいのことは党悟の上でということも あり得るかもしれませんが、訓練の効率や金銭的な間題、その他現実に機体の破損事故が起 きた場合の影讐を考えとてもそうはいかないと思います。もっとも、こんなことはあた りまえで、現実に航空部で事故というもの程度によっては起きてもかまわない場 合もあると考えている人はいないと思います。また、そうであるからこそ、 本当に危険な状況になってしまったらそのことは忘れて死なないようにという 話が出るわけです。訓練以外の場合、競技会や記録飛行などでもこれは例外 ではないと思います。危険な行動をしないという原則に、もし例外が許されるとす れば、それは緊急処置等の練習を行なう場合だけではないかと思いよす。もう一 つ報告を書をみていて気がつくことは、まったく同じような事故が何件も繰り返されて いることです。以前に他のパイロットが起こした事故をもう一度繰り返すというの は、ある程度記録を読んで考えておけばふせげないのかという疑問を感じます。低 くなってしまって滑走路に帰れなくなったとか、ウインチ曳航の上昇中のトラブル とかはまったくあきれる程繰り返されているのですが、こうした事故を再発させるこ とは大変恥ずかしいことだと思います。また、同じ失敗を繰り返すようでは、クラ ブとして大変危険な状態で、安全に対する考え方について基本的な反省が必要だと思 います。 やや長くなりましたが主要な結論は、原則として危険な行動は最初からやらないと いうごく当然のことになります。しかし、これは口で言う程簡単ではないので、いか にも危ないことはたいてい誰もやらないのですが、やっかいなのは、事故の多くが 単一の原因によるものてなく、それ自体はさして危険ではないようにみえる小さな 異常が積み重なって大きな事故につながる点にありす。従って、訓棟をやって いて普段と変った所があれば、それがどんなに小さな異常でも、平気ですませな いでよく考える態度が大事だと思います。また、通常の飛行は危険でないものが、 たとえばガストがあったとか、風だったとか、あるいは、たまたま同時に進入す る機体があったとか、異常とまでは言えないけれども普段とやや異なる状態で初め て問題になるような楊合があり、これもよく孝えていないとなかなか気がつきにく いものです。 最後に、安全の間題は教官ただけの間題ではないので、合宿に参加する人全員 に、常によく考えること、決められた手順や諸規則、教官の指示に従っていさえ すれば動的に安全は確保されるものなどとは思わないで、自分自身で安全の間題 を孝えることをとくにお願いします。