Date: Thu, 14 Mar 1996 16:56:34 +0900 From: Honda shin`ichi Subject: 自家用(長文) 1月14日に東大航空部の近藤(4)、船越(3)、本田(2)の 3人がみなさま方の御指導おかげで自家用を取得しました。ありが とうございました。 これはその報告です。 この指定養成は、12月ぎりぎりまで入所希望者を待っていたの で合宿計画を立てた日から3週間後にスタートというあわただしい ものであった。当然学科を終らせてから合宿とはいかず、合宿中に 学科も行なうこととなる。思えばこの時点でハマリ度の高さに気づ くべきであった、、、、。 12月17日(日) 関東大会入り日。ジュニアはすでに妻沼の格納庫に入っている ので、指定養成用の21を陸送。 この日の朝、トラックとスプリンターが同時にバッテリー上がる。 早くもはまり合宿の予感、、、。 1月3日(水) 明けて平成8年!明日からいよいよ指定養成スタート! この日は昼に妻沼集合。21を2機(JA2379,JA2520)と13 (朝日13)を組んで 明日からの合宿に備える、、、はずだった。 むむむ、、。 まずハマッタ事。21のターポリンを駒場に忘れる!しかも気 づいたのは妻沼! 本田が車で取りに戻るが車の中にはメインピン。結局東大21は 組めずに終る。 次にハマッタ事。学連21定時点検間近。 救われた事。今回のメンバーになんと三整が一人。学連21は 組んでその場で点検。夕方終る。 さらにハマッタ事。朝日13の書類不備、計器類の未点検。こ のため、この機体が飛び始めるのはずっと先のこととなる。 余談。本田は指定養成の入所資格、12時間以上、ソロ28発、 2時間半以上を満 たし、約12時間+、ソロ28発、3時間で入所 審査に受かり入所する。ところが、 本当にこんな少ない時間で入っ て来る奴はいないということをこの日知る。慶応は2年生ですら、 40時間ほど飛んでいると聞き、自分が相当場違いなところにいる 事を 感じてしまう。慶応2年曰く「ほとんど冗談としか思えん時 間数だ。」 1月4日(木) さて、やってまいりました、指定養成初日。 が、強風。予想されていたが、この先もずううっと強風に泣くこ とになる。今年の妻沼は機嫌が悪いぜ! よって、この日はひたすら学科。    1月5日(金)    気を取り直して今日からフライト!この日はちょっとだけ穏やか。 本田は3発飛ぶ。 「なあ、対地8の字ってやったことある?」 「ない、ない」 「 風もこんな強くて、ぶっつけ本番か。どうする?どうする?」 「失敗しても強風のせいにできるってことさ!」 「むぅ」 まだまだ余裕! しかし午後にはあえなく強風待機となる。 予想していた自家用組は即座に撤収。午後はずぅっと学科。 長引くんだよなぁ。これが。 某F氏「法律にある以上、巡行高度は守らなければなりません。」?? 教官「グライダーで?」 F 「はい」 教官「できるのか?」 F 「いえ、、、、。」 H大某T氏「航、、空、、、、こ、う、つ、う、、、管制、、、、圏!」 教官 「おおおぉぉ、、良かったよ。言えなかったらどうしよう かと思った。」 教官「身体検査の有効期限は?」 T大某T氏「4年です。」 教官「本当か?」 T「、、、、?」 その他名言、珍言他数あり。 さて、このへんで指定養成中の我々の生活パターンを紹介しておこう。 普通、指定養成はある程度学科を終えてから合宿に入るのが普通である。 そして最終日のオーラル試験に備えて暇な(主に夜)時間は自習、 昼は軽めのフライト、というのが普通のパターンである。 ところが、最初に書いたように、この指定養成に限っては一切学科がお わっていなかったので、フライトが終れば即学科。当然自習の時間などな い。また、フライトについても、ほぼ全日強風が予想されるため朝のうち に飛んでしまおうと、普段よりも早起きするはめになる。にもかかわらず、 自習の時間を確保するため夜のx時まで某所で勉強。平均睡眠時間は4時間 ぐらいか?とにかくきつかった。 それにしても、この指定養成中、合宿の重なった慶応の2年はさらに 悲惨を究めた。なにしろ、このような生活に加えてさらに上級性の「おい、 この車移動させといてな。」、「会計明細明日までに出しといてな。」「今 晩中に明日の朝飯買ってきとけよ!」などなどの命令をすべてこなさざる得 なかったのである。鬼だ。 お前には同情したよ! 1月6日(土) この日も強風だが、飛べることは飛べた。 しかしながら、地面付近の荒れ方は尋常ではなく、いつもどうりのパスで はひどく揺らされる中を進入するはめになり、ひどければすさまじい沈下に たたかれてあわやアウトランという目に合わされる。 そこで接地点が足元に見えなくなるまでかぶせてからダイブ全開となる。 皆慣れてないのでなかなか難しいのだが、この合宿が終るころにはそれなり に慣れてしまっていた。 1月7日(日) 全員が揃っていられる最後の日。つまり、この日のうちに学科をすべて 終らせないとややこしいことになる。ところが、この日は絶好のフライト日 より!飛ばぬわけにはいかぬ。 しかたないので、あえてややこしくすることにする。すなわち、この日 の夜に1度帰る者はフライトは午前中で切り上げ。午後から彼らだけで学科 を受けてもらいとりあえず学科は終らせる。残る人々はそろって後日学科、 この日はひたすら飛ぶ! この日、東大の船越は帰る組だったのでフライトは午前中だったが、そ こでフォワードのリカバーに失敗。結構危険な木の葉落しをやり教官に大目玉。 「指定養成なんかやめて、帰るか?」 きつい、、、。 きついと言えばこの日の早稲田のピストもきつかった。曰く、 「ウィスキータンゴ!(プラスが)ないところで回らないように!」 「Wタンゴ!もっとバンク入れなさい!」 そんなピストもたまにはミスする。自家用が川側、早稲田が土手の日の一件。 早稲田ピスト(以下WP) 「WタンゴはR/Wデルタ。」 自家用ピスト「?????」 WT 「早稲田ピスト、R/Wチャーリーですか?」 WP 「デルタに降りて下さい。」 WT 「デルタ、機体がいるようですが?ブラボーですか?」 WP 「?、、、、、、!!、コレクション!R/Wブラボー。」 ちなみにこの日本田の課目は急旋回であったので、後席の、 「あげられたら、あげようぜ!」 の声に、一気に800まであげて、600前後でうろうろしていた早 慶の機体をまとめて(一瞬だけ)かもる。SZD55の上を(これも一瞬)飛 ぶ!でも争う気はなかったので下に入ってきたらすぐ譲ってしまった。 とにかくこの日は、条件が良く、午後から帰る組が抜け、また、早 慶は自校の合宿で課目をこなすことを中村さんに指示されたため、人も少 なく、楽しめた日であった。 1月8日(月) この日は朝から強風のため1日中学科と合いなる。そしてこの日で学科 の全ての科目を終了!よかった、、。 とはいえ、非常に駆け足でこなしたので本当に理解したのかどうかは不 明。やはりもっと時間をかけられる内に学科を受け、復習をやれるだけの余 裕があった方がよかった。 この日の夜、本田は翌日の必修授業にでるため、東工大の相模と一緒に 車で東京へ。 そして事故。 30Kmぐらいで走っているところへ無灯火の二人のりの自転車に側面か らぶつけられる。そして彼らはとっとと逃げてしまった。本田は警察へ届 けるも、どういう状況でも車と自転車では車が悪くなる、と言われがっく し。ついてない。 1月10日(水) 一昨日の事故で深夜まで気を張っていたのが応えたのか、風邪を引く。 39度まで出てしまう。ピンチ! 1月12日(金) まだふらふらするが、根性で妻沼入り。しかしこの日フライトはなかった。 宿舎で養生する。 1月13日(土) この日は予報通りのフライト日より。残るノルマは30発! 本田は4発飛び、全員科目終了!明日はいよいよ試験。 1月14日(日) いよいよ最終関門。口頭試験と実技試験。 この日は穏やかな風だがそれが災い。皆強風になれているため、殆どがロ ング気味の着陸となる。どうにか合格。 しかし問題は口頭試験。駆け足の学科だったため、皆悪戦苦闘。 なんと5人不合格!しかし後日再試験という温情の措置。この5人はもう 勉強を開始。 本田はあり難いことに合格組。 不合格組がこの後どのような経過を辿ったかは次編の報告にて明らかに されるであろう。 -- ########################### # 東京大学理科I類2年 本田 真一 # # e-mail g440100@komaba.ecc.u-tokyo.ac.jp # ###########################